和魂洋才

マーク・アレンが見た、レース後の背中:どう家に帰るのか

トライアスロン
https://substack.com/home/post/p-209709427

マーク・アレンが、彼自身のサブスタックで新しい投稿をしました。タイトルは、「Going Home:IRONMAN Ottawaからの報告」で、先日のアイアンマン・オタワのあと、レストランの外に腰かけて、家路につく選手たちをただ眺めていた時のエッセイを書いています。

言葉を交わさなくても、姿を見ればわかる、とアレンは言います。自転車を押す疲れた足取り。歩道を引きずるギアバッグ。雨に濡れた一日を物語る、ぐしょ濡れの靴。世界を征服したような笑みを浮かべる人もいれば、肩を落とし、目線が数メートル先の地面に釘付けになった人もいる。なかには、レース中にクラッシュした選手も二人ほど、いたようで、これまでの何ヶ月もの準備が、たった一瞬で消えてしまった人たち。

そこで彼は、ふだんあまり語られない問いを立てます。

アイアンマンのあと、私たちはどうやって家に帰るのか。

選手達は、家に帰るとき二つのタイプに分かれる、と彼は言います。仕事や家族との生活のような、日常の些事が、急にいとおしく感じられる人。そしてもう一方に、「これで終わり?」と、日常があまりに小さく、色あせて見えてしまう人。大きな目標を追いかけたあとほど、ふつうの暮らしがむなしく感じられることがある、と彼は言います。

けれど、とアレンは続けます。

しばらくして、今度は選手ではなく、レースとは無縁の人たちが、彼の目を捉えます。夕食を終えて歩く恋人たち。笑い合う家族。彼らの多くは、レースなど走ったことがないし、これからも走らないのだと思うとして、今夜は、ただの心地よい一晩を過ごすが、数週間もすれば忘れてしまう夜をすごしているだけ。それに対して、目の前を通り過ぎていく選手たちは、何ヶ月も前に始まった旅の、最後の一章を閉じようとしている。彼らは不確かさを選び、やる気が消えたあとも自らに規律を課し、快適さよりも目的を選んだ人たちなのだ、と。

そしてアレンは、この一篇でいちばん静かで、いちばん深い一行にたどり着きます。

「平凡は、非凡の反対ではない。それは、非凡から回復するための場所なのだ。」

アイアンマンのレースで、ゴールまで運んでくれたのと同じ「いま、ここにいる感覚」が、ベッドを整えるあなたをも運んでくれる。掃除をするとき、ただ早く終わらせようとしているのか。それとも、ひとつひとつの動作に心を置いているのか。マラソンの最中、早く終わってくれと願っているのか。それともただ、この一歩、次の一歩、と刻んでいるのか。いま、ここにいるということは、レース当日だけのものではない。それは、なにも特別なものではなく、暮らしのどこにでもある、と彼は言います。

選手を変えたのは、ゴールラインではなく、何ヶ月もの静かな朝、なんでもない火曜日、たった一人のトレーニング、誰も見ていないところで下した無数の決断など。それらの寡黙な選択が、選手を別の誰かに変えていった。だからこのレースは、結果がどうあれ、一生選手のなかに色濃く残る。タイムがどうのこうの、というよりも、このIRONMANというレースに挑むにあたって「どんな自分になったか」ということ。

これは、レースを終えた人だけの話ではないようにおもいます。大きな何かをやり遂げたあとに、ふと訪れるあの空白。その空白を、次への静かな準備として生きること。マーク・アレンのこの一篇は、そんなことを思い出させてくれます。


最近、私の執筆活動はサブスタックが中心です。これからも、サブスタックに載せた文章を、こちらにもアップしていきます。私の記事は英語ですが、翻訳機能もついていますし、登録も無料でできますので、ぜひ応援のほどよろしくお願いいたします。

コメント

タイトルとURLをコピーしました